第54回例会『日本の未来と人づくり「新常態」の京都・今未来』を振り返る

京都教育懇話会 企画運営委員(京都市教育委員会 学校指導課)田中 雅規

発足10年を超えて,弛みなく歩み続ける京都教育懇話会。産学公が集い,次代の教育や人材育成へ想いを馳せて,新たな教育の展望を発信し続けています。
 令和2年9月1日開催の第54回例会は,コロナ禍のニューノーマルに相応しく,祇園の漢字ミュージアムを会場に,リアルとオンラインによるLive配信を融合するハイブリッドの開催となりました。

例会には,京都にゆかりある3名の若手起業家,一般社団法人HASSHADAI Social 代表理事の勝山恵一氏,株式会社和える 代表取締役の矢島里佳氏,株式会社MIYACO代表取締役の中馬一登氏に登壇いただき,門川大作京都市長を囲むかたちで,時に和やかに,時に熱く,ニューノーマル下での京都,世界の現状と将来について,様々な切り口で語っていただきました。

それぞれが正反対とも言える生い立ちや背景,また人生の目標や目的を持たれる中,熱くも高い志を抱く方々は,筋書きが無くても,かくも共通の視座を持つものかと改めて感じ入った次第です。話題は縦横無尽,自由闊達と形容できる多彩な展開でしたが,うち,私見を交え幾つかの括りでまとめてみました。

一,価値観の転換
コロナ禍のオンライン化,デジタル化をはじめとする新常態にあって,社会の様々な価値,尺度が変わってきています。遠隔や分散,またボーダレス,ジョブ型雇用…キーワードは枚挙に暇がありません。
また,個人の価値観も然りです。次代へのメッセージとして『偏差値の高い大学に行き,一流企業に入るのが必ずしも幸せではない』(勝山),『沢山の魅力的な大人に出逢い,子どもの興味関心を引き出す』(中馬),『人や伝統文化との出会いが人生を変え,言語化する力や思考を深める力を高める』(矢島)。現状や固有の常識に捕らわれず,  「あるべき」を追従するのではなく「ありたい」を追求すること。これこそが実践家としての三者の底流にある,熱い想いでした。

一,言葉の持つチカラ
各界のリーダーとして御活躍の登壇者が,その際立つコミュニケーション力の源泉となる「言語能力」に到着することは当然なのかもしれません。しかしながら,文化表現や,自己表現,ひいては自己実現に欠かせない能力であるとの強い意識も印象的でした。
デジタル化により「国」のボーダーは下がり「文化」のボーダーは高まる中,情緒的な表現「遣らずの雨」に表される固有の文化の尊さ(門川)。また,言語が豊かになり自らの心情をより詳細に,繊細に表現することができれば,心穏やかにそして他者にも優しくできる。気持ちを言葉で上手に表現できないがゆえに手が出ていた過去の自分を振り返り,言語能力の大切さを訴える勝山氏の発言も印象的でした。

一,「選択」と「責任」
「自ら主体的に選択できること」。選択の連続である人生において大変重要なことです。激動の社会変革の渦中にあって,「起業家」精神,すなわち自ら課題解決する力だけでなく課題そのものを発見する力を育む教育の必要性や重要性は,登壇者全員,軌を一にするところでした。
その一方,「選択」と対になるのが「責任」です。『厳しい境遇にある子どもに全て自己責任と転嫁することへの懸念』(勝山),また,『今の子どもが大人をカッコ悪いと思っていることへの大人としての反省や責任』(中馬),和える電気のように『生活上の選択により環境や文化へ還元できるシステムの創設』(矢島)。観点は違えど個から社会まで広く選択と責任のバランスを取ることで,社会的包摂,社会課題解決,持続可能な社会づくりの視点を持ちうるものと理解しました。

最後に
○幼少期への人・金・環境の積極的投資(矢島)
○令和版番組小学校の創設(中馬)
○京都版ミニヤンキーインターンの展開(勝山)

それぞれが提言・宣言として,自らの構想や想いを出すことで,本例会のクライマックスを迎え,門川市長からも,賛同とともに本懇話会も新たなステージに入ったとの感想。
2時間近い講演会終了後も,参加者それぞれの熱気は冷めやらず,1時間近く会場内あちらこちらで熟議の延長戦が続いていたのが印象的でした。
 小さくも光輝く点と点が繋がり,面となって次の時代へ続いていく。その黎明に立ち会えた瞬間でした。

拙稿,最後までお読みいただきありがとうございました。